| 「なにわ食いしんぼ横丁」内にはいろんな楽しい仕掛けが仕組まれています。中にはドッキリするものもあるかもしれませんが、勇気をもってチャレンジしよう! | |||||||||
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| ☆物語の舞台は、「なにわ国」のとある港町。 |
この町は、いつの頃からか『なにわ食いしんぼ横丁』と呼ばれている。今では国鉄「なにわ駅」を中心にして町が発展し商人の町として栄えている。どの店も老舗ばかりなので、昔ながらの木造家屋が軒を連ねている。 住人は気さくで親切な人ばかりであった。服装は、割烹着、甚平、作務衣、前掛けなどを着用している人が多い。こうした雰囲気が何故か郷愁を誘う。 また、横丁には、国中から美味しい「食」の老舗や名店が多数集まっているので、大勢の旅人が訪れると言う。駅前には、足の裏を触ると幸せが訪れるとのいわれがある「えべっさん」の銅像が建てられている。横丁の奥には、縁結びを始めとした七福のご利益があるとの言い伝えのある「七福神社」があり、黄金のご神体「福猫神像」が奉られている。 今、なにわ国では、数年後に控えた「なにわ万博」に向けて、元気に盛り上がっている。また、「七福神社」の祭礼として、「食いしんぼ祭り」が開催されており、賑やかな囃子や太鼓の音も鳴り響いている。このように、横丁は今でこそ活気に溢れ商売で栄えているが、その歴史には想像を絶する秘められた物語が隠されていると言う。 |
☆物語の舞台は、「なにわ国」のとある港町。
来る日も来る日も嵐が吹き荒れる厳しい自然のため、魚も農作物も獲れない日々が続いた。しかし、村人たちは質素で情け深く心優しい人ばかりであった。少ない食べ物を分け合いながらも充実した毎日を過ごしていた。 とある日、村の祠に一匹の子猫が捨てられていた。子猫は飢えて痩せ細っていた。不憫に思った村人たちは、自らの食事を我慢して子猫に与えた。栄養失調に苦しむ子猫が足を痒がったので、村人たちは交代で足をさすってやった。育ち盛りの食いしん坊な子猫は食べても食べても満腹にはならなかったが、優しい村人たちのお蔭ですくすくと育っていった。 それは100日目の夜のことだった。 村の祠をそっと抜け出した子猫は、海に向かって「好っきやねん」と叫んだ。すると、海の一角が大きく泡立ち、一匹の子鮫が現れた。子猫は子鮫にまたがり暗い海に消えていった。 翌朝、ひと時のなぎが訪れた。騒然とした鳴声と共にカモメの大群が飛来するや否や一帯の海は朱色に輝き、大量の魚群が現れた。 村人たちは大漁の予感に沸き立ち、一斉に舟を繰り出した。この地に巣くう貧乏神は、これを見て怒り狂い、巨大な嵐を招き寄せた。舟は木の葉のように海面を舞った。その時、奇跡が起きた。海の一角が一条に割れて、子鮫に乗った子猫が現れた。 子猫が「好っきやねん」と大声で唱えると、天空より黄金の舟に乗った七匹の猫が降臨した。世界は黄金色に染まった。海はなぎ、再び魚で満ち溢れた。大地は芳醇な小麦畑に生まれ変わった。カモメは鶏に姿を変え美味しい卵を産み落とすようになった。 こうして、村から貧乏神を追い出すことに成功した子猫は、親切な村人たちへの恩返しを成し遂げた。 子猫と子鮫は、実は"海運と商売繁盛の神様「えべっさん」の化身であった。この「えべっさん」が呼び寄せた七匹の猫こそが七福の神々「福猫神」である。 この奇跡の物語は後の世に「えべっさん伝説」として語り継がれていった。 |
| ☆生まれ変わった村は、タイやヒラメにタコやイカ、小麦に卵と、豊漁と豊作に沸いた。
これら美味なる食材に誘われて、村には多くの料理人が集まりその技を競い合った。 名店街は、食いしん坊の子猫に因んで「食いしんぼ横丁」と名付けられた。横丁の派出所までもが「食いしんぼ交番」と命名された。また、地名や屋号には、豊漁への感謝を込めて魚の名前が数多く採用された。横丁には、名店の味を求め、なにわ国内は言うに及ばず世界中から旅行者が訪れた。村は繁栄を続けた結果、なにわ国の商都となり港も鉄道も整備された。 この横丁を訪れる人々は、いつの頃からか、"えべっさん伝説"を伝え聞き、幸せを願いながら"えべっさん像「食いしんぼえびす」"の足の裏を触るようになった。 |
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| ●食い倒れの街
食い倒れの街・大阪。古くから「大阪の食い倒れ、京の着倒れ、神戸の履き倒れ」と比肩されています。ここでは、「旨いのは当たり前、旨くて安くないとアカン」というシビアな価値感が常識になっています。その結果、全国のあらゆる食材が"天下の台所・大阪"に集まり、和食から"粉もの"に至るまで、その多彩さと美味しさを競い合っています。まさに、"大阪そのものが「フードテーマパーク」である"ともいえるほどの強烈な魅力を発信しています。 大阪を特徴つける食文化といえば、「たこ焼き」「お好み焼き」「いか焼き」「餃子」等の、小麦粉を用いた"粉食文化"といえます。これら"粉モノ"で多用するソースの消費量は、東京の1.5倍(総務庁家計調査)にも及びます。 また、関西人のタコ好きは半端ではありません。一世帯あたりのタコの年間消費量(総務庁家計調査)は、神戸がトップの2.0キロ、大阪が2位の1.8キロ、3位が奈良の1.7キロと、関西圏が抜きん出た消費量を誇ります。食を通じてタコに慣れ親しんできた関西人は擬人化したタコにも愛着心を持っています。このタコを食材とした「たこ焼き」が、昭和8年頃に大阪の「会津屋」で生まれました。「カリッ」と焦げめのついた皮を破って、「トローリ」と半熟状の小麦、「コリッ」とタコの歯ごたえ。たこ焼きは東京ではおやつですが、大阪では一家に一台のたこ焼き器を備え、晩御飯にもなるといわれています。 たこ焼きと並び、人気を二分するお好み焼き。大阪人はデートでも気取らずにお好み焼きを食べます。その食べ方で二人の親密度が分かるといいます。大阪府のお好み焼き屋店舗数(オタフク調べ)は、2位の兵庫県(2,563店舗)を大きく引き離して、全国トップの3,465店舗にも達します。関西では東京とは異なり店側で焼いて提供します。このことが店舗間の味の差別化を可能にしました。お好み焼きは終戦後に一気に普及し、昭和21年創業の「ぼてぢゅう」が大阪風お好み焼きのスタイルを確立したといわれています。昭和25年創業の「ゆかり」は今でも行列の絶えないことで有名な人気店です。 商都・大阪では、何ごとにつけても高い費用対効果が求められます。これはまた、食に対する創意工夫の歴史でもあったのです。明治43年、大阪・千日前に、ライスカレーの店「自由軒」が開店しました。ご飯とカレーが混ぜ合わせになっていて、生卵を落とし、ウースターソースを掛けて食べる「混ぜカレー」の誕生です。「混ぜた方が熱々だし、さっと食べれて、お客の回転も早い。東京にはない庶民の味だ」と言われました。横断歩道の信号機さえもがカウントダウン表示されるほどの"イラチ(せっかち)"な大阪人気質には見事にマッチしています。 そして、“粉食文化”を代表するもう一つの大阪名物の「いか焼き」もまた創意工夫の産物でした。日本は世界の水揚げの半分を消費するほどの“いか大国”です。東京でイカ焼きと言えば「イカの丸焼き」を意味しますが、大阪スタイルは、小麦粉と刻んだイカを混ぜ合わせて作った風味の高い生地を、プレスしながら高温で一気に焼き上げたものに、特製ソースを付けて食べます。片手で食べられるいか焼きは、戦後、「元気の源」として主食、副食を問わず、子供から大人まで幅広い層に好まれています。 |
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| ●現実には存在しない場所
"食い倒れの街"を求めてやって来る遠方からの観光客は、主に道頓堀界隈に繰り出していきます。そこでは、「くいだおれ人形」が太鼓を叩き、「かに道楽」のカニが大きな脚を蠢かし、道頓堀川にかかる「戎橋」では「グリコ」の巨大ネオン看板を背にして記念写真を撮る人々で賑わっています。しかし、「名店」「老舗」と呼ばれる店舗は1ヵ所に集まっているわけではありません。これは、都市そのものが"食い倒れの街"として成長してきた大阪の宿命といえます。大阪の食文化は、個々の店舗の営みを通じて生まれ育まれていったからです。西成区玉出の元祖たこ焼き「会津屋本店」、桃谷商店街にある元祖イカ焼き「桃谷いかやき屋」、なにわ名物カレーの「自由軒」、心斎橋等に店を展開するオムライス発祥の老舗洋食店「北極星」など、大阪発祥のオリジナル食文化を創造しその後の歴史を刻んで来たこれら老舗の多くは府内各地に点在しています。 また、老舗・名店には、職人の技に支えられた個人店舗も多く、多店舗展開をせずに本店だけで営業しています。グルメマンガ「美味しんぼ」でも紹介された、大阪における韓国食文化の発信地「鶴橋」のように、地域自体が「コリアタウン」として特定食文化の町を形成しているケースでは尚更のこと、その場所に行かない限りは味わえないのです。このため、これら老舗・名店の味を体験したことのない大阪人も多いといいます。 |
| ●"なにわドリーム"が体感できる新名所の誕生
大阪を目指して、関東など広域からの旅行者が激増しています。これらの来訪者が大阪に期待するのは"大阪らしい大阪"であり、いわば"なにわドリーム"の体験、中でも"食い倒れの街"を堪能することです。 一方、全国的に進行している食文化の均質化現象は、大阪も例外ではなく、各種のオリジナル食文化を誕生させてきた大阪にも、最近はスタイリッシュな店が増え、特徴がなくなってきています。表通りにはナショナルチェーンの飲食店舗が建ち並び、安くて旨いグルメの老舗や名店は、裏筋まで入らないと出会えない場合が多いものです。この結果、大阪の若者たちの多くは、関西独自の食文化を育んできた老舗の存在すら知りません。 以上を踏まえたうえで、"食い倒れの街"を一ヵ所で味わい尽くすことのできる場所が誕生するならば、旅行者はもちろんのこと、地元の人々にとっても「大阪にはこんなに美味しい店があったんやね!」「一ヵ所にあるのでいっぺんに済むから便利や!」というように、"イラチ"で新しもの好きの大阪人には実に新鮮な出来事となるでしょう。 天保山ハーバービレッジは、開業記念日(1990年7月20日)にあたる2002年7月20日(土・祝)、天保山マーケットプレースの一角に、昭和40年前後の大阪の街並みを再現した関西名物グルメのテーマパーク「なにわ食いしんぼ横丁」を開設します。"なにわドリーム"に貫かれた"食い倒れの街"が体感できる新名所が登場することは、関西の独自の食文化、名物グルメが一ヵ所で満喫できる場所が、初めて誕生することを意味します。 「なにわ食いしんぼ横丁」は、昭和45年(1970年)の大阪万博に向けて"大阪が最も元気に光り輝いていた時代"である昭和40年前後の大阪の下町です。国鉄駅前に広がる商店街やガード下のノスタルジックな世界が、故郷に帰ってきたかのような「懐かしさ」と「安らぎ」を醸し出しています。夜祭りが開催されている縁日風の賑やかな街並の中には、かつての"元気な大阪"がたっぷりと詰まっています。この非日常的劇場空間では、大阪独自の"なにわドリーム"が演じられ、五感で楽しめる"美味しい夢の世界"が展開されます。 |












