天保山マーケットプレース

フロアガイド 交通アクセス 営業時間・休館日 サイトマップ
天保山マーケットプレース > なにわ食いしんぼ横丁の演出

なにわ食いしんぼ横丁の演出

パフォーマンススケープ
テーマストーリー"えべっさん伝説"
企画背景
なにわ食いしんぼ横丁の店舗一覧
なにわ食いしんぼ横丁通信
→ ENGLISH
日本初!名物グルメのテーマパーク
昭和40年前後の大阪の街並を演出、関西名物・老舗の"味"を集結!!
昭和40年前後の大阪の街並を演出

天保山ハーバービレッジでは、開業記念日(1990年7月20日)にあたる2002年7月20日(土・祝)に、天保山マーケットプレースの一角に、昭和40年前後の大阪の街並を彷彿とさせる名物グルメのテーマパーク「なにわ食いしんぼ横丁」を開設しました。

「食い倒れの街」といわれる大阪を中心とした関西の「老舗」と「名物食」をテーマとして、なにわ名物カレーの「自由軒」、オムライス発祥の店「北極星」、イカ焼きの元祖桃谷いかやき屋」、大阪一口餃子の名店「餃々(チャオチャオ)」など、関西の食文化を代表する選りすぐりの店を一堂に集め「本場のなにわグルメ」をおいしく楽しくリーズナブルに味わっていただけます。

昭和40年前後といえば、45年(1970年)の大阪万博に向けて、"大阪が最も元気に光り輝いていた時代" です。その頃をを思い出させ、誰もが故郷に帰ってきたかのような「懐かしさ」と「安らぎ」を感じられるように、駅前商店街など、往時の大阪下町をイメージした街並を再現し、8の字型の回遊路に沿って、実演販売や飲食店、物販店が並びます。 今回の企画、設計、施工は、「横濱カレーミュージアム」や「ラーメンスタジアム」といったフードテーマパークのプロデュース実績を持つ株式会社ナムコの「チームナンジャ」が担当します。従来のフードテーマパークは、ラーメン、カレーといった単一食ジャンルをテーマとしており、今回のような地域の名物グルメをテーマとした施設は日本初の試みです。

このページのトップへ
パフォーマンススケープ
「なにわ食いしんぼ横丁」内にはいろんな楽しい仕掛けが仕組まれています。中にはドッキリするものもあるかもしれませんが、勇気をもってチャレンジしよう!
シンボル「猫神様」
シンボル「猫神様」。かならず足をなでよう!
「好っきやねん!」と叫ぼう
愛を確かめるには「好っきやねん!」と叫ぼう。すると・・・
対面式の切符売り場
今は懐かしい対面式の切符売り場。大きな声で切符を買ってみよう。
バイク
出前や新聞配達などで大活躍の「バイク」ちょっとまたがってみませんか?
高圧注意
「高圧危険」でも触ってみたくなるのが人というもの。さあどうする?
バス停
バスは何時に来るのかな?バス停に座って待ってみたら・・・
猛犬注意
「猛犬注意」近づかないほうが身のため ?なでてみると・・・?
街頭テレビ
昔なつかしい街頭テレビ。チャンネルをいじると・・・
このページのトップへ
テーマストーリー"えべっさん伝説"
☆物語の舞台は、「なにわ国」のとある港町。

この町は、いつの頃からか『なにわ食いしんぼ横丁』と呼ばれている。今では国鉄「なにわ駅」を中心にして町が発展し商人の町として栄えている。どの店も老舗ばかりなので、昔ながらの木造家屋が軒を連ねている。

住人は気さくで親切な人ばかりであった。服装は、割烹着、甚平、作務衣、前掛けなどを着用している人が多い。こうした雰囲気が何故か郷愁を誘う。

また、横丁には、国中から美味しい「食」の老舗や名店が多数集まっているので、大勢の旅人が訪れると言う。駅前には、足の裏を触ると幸せが訪れるとのいわれがある「えべっさん」の銅像が建てられている。横丁の奥には、縁結びを始めとした七福のご利益があるとの言い伝えのある「七福神社」があり、黄金のご神体「福猫神像」が奉られている。

今、なにわ国では、数年後に控えた「なにわ万博」に向けて、元気に盛り上がっている。また、「七福神社」の祭礼として、「食いしんぼ祭り」が開催されており、賑やかな囃子や太鼓の音も鳴り響いている。このように、横丁は今でこそ活気に溢れ商売で栄えているが、その歴史には想像を絶する秘められた物語が隠されていると言う。

えべっさん☆物語の舞台は、「なにわ国」のとある港町。

来る日も来る日も嵐が吹き荒れる厳しい自然のため、魚も農作物も獲れない日々が続いた。しかし、村人たちは質素で情け深く心優しい人ばかりであった。少ない食べ物を分け合いながらも充実した毎日を過ごしていた。

とある日、村の祠に一匹の子猫が捨てられていた。子猫は飢えて痩せ細っていた。不憫に思った村人たちは、自らの食事を我慢して子猫に与えた。栄養失調に苦しむ子猫が足を痒がったので、村人たちは交代で足をさすってやった。育ち盛りの食いしん坊な子猫は食べても食べても満腹にはならなかったが、優しい村人たちのお蔭ですくすくと育っていった。

それは100日目の夜のことだった。 村の祠をそっと抜け出した子猫は、海に向かって「好っきやねん」と叫んだ。すると、海の一角が大きく泡立ち、一匹の子鮫が現れた。子猫は子鮫にまたがり暗い海に消えていった。

翌朝、ひと時のなぎが訪れた。騒然とした鳴声と共にカモメの大群が飛来するや否や一帯の海は朱色に輝き、大量の魚群が現れた。

村人たちは大漁の予感に沸き立ち、一斉に舟を繰り出した。この地に巣くう貧乏神は、これを見て怒り狂い、巨大な嵐を招き寄せた。舟は木の葉のように海面を舞った。その時、奇跡が起きた。海の一角が一条に割れて、子鮫に乗った子猫が現れた。

子猫が「好っきやねん」と大声で唱えると、天空より黄金の舟に乗った七匹の猫が降臨した。世界は黄金色に染まった。海はなぎ、再び魚で満ち溢れた。大地は芳醇な小麦畑に生まれ変わった。カモメは鶏に姿を変え美味しい卵を産み落とすようになった。

こうして、村から貧乏神を追い出すことに成功した子猫は、親切な村人たちへの恩返しを成し遂げた。

子猫と子鮫は、実は"海運と商売繁盛の神様「えべっさん」の化身であった。この「えべっさん」が呼び寄せた七匹の猫こそが七福の神々「福猫神」である。

この奇跡の物語は後の世に「えべっさん伝説」として語り継がれていった。

☆生まれ変わった村は、タイやヒラメにタコやイカ、小麦に卵と、豊漁と豊作に沸いた。

これら美味なる食材に誘われて、村には多くの料理人が集まりその技を競い合った。
この結果、たこ焼き、お好み焼き、いか焼き、オムライス、混ぜカレー、一口ギョーザなど、多くの新しい料理が誕生した。祠の前には、これらの名店が軒を連ねるようになった。

名店街は、食いしん坊の子猫に因んで「食いしんぼ横丁」と名付けられた。横丁の派出所までもが「食いしんぼ交番」と命名された。また、地名や屋号には、豊漁への感謝を込めて魚の名前が数多く採用された。横丁には、名店の味を求め、なにわ国内は言うに及ばず世界中から旅行者が訪れた。村は繁栄を続けた結果、なにわ国の商都となり港も鉄道も整備された。
豊かになった住人たちは、自分等を救ってくれた神々に感謝し、町の入口に猫神様と鮫神様の銅像を建立し、親しみを込めて「食いしんぼえびす」の愛称で呼んだ。町の祠には、黄金の舟に乗った七体の「福猫神」を奉納し、「七福神社」と命名した。そして、食いしん坊の子猫に対する感謝の気持ちをいつまでも忘れないためのお祭り「食いしんぼ祭り」が毎日催されるようになった。

この横丁を訪れる人々は、いつの頃からか、"えべっさん伝説"を伝え聞き、幸せを願いながら"えべっさん像「食いしんぼえびす」"の足の裏を触るようになった。
美味しい食べ物をお腹いっぱいになるまで堪能した後には、横丁中に貼り巡らされた"貼り紙"の中の魚をウォッチングする「お魚探偵団」の遊びが生まれた。また、横丁に隠された七つの「福塚」を巡った後に「七福神社」を参拝し"七福のご利益"を祈念するという「七福塚巡り」の習わしも生まれた。神社ではカップルが手をつなぎ合って「好っきやねん」と願をかける"縁結びの祈願"も執り行われるようになった。明るくウイットに富んだ人々の手による「ギャグコン(マイ・フェバリット・ギャグコンテスト)」などの催しも盛んに開催された。こうして、楽しい思い出と沢山のお土産を両手いっぱいに抱えながら、皆、「えびす顔」で帰っていくという。

「食いしんぼ横丁」
このページのトップへ
企画背景
●食い倒れの街

 食い倒れの街・大阪。古くから「大阪の食い倒れ、京の着倒れ、神戸の履き倒れ」と比肩されています。ここでは、「旨いのは当たり前、旨くて安くないとアカン」というシビアな価値感が常識になっています。その結果、全国のあらゆる食材が"天下の台所・大阪"に集まり、和食から"粉もの"に至るまで、その多彩さと美味しさを競い合っています。まさに、"大阪そのものが「フードテーマパーク」である"ともいえるほどの強烈な魅力を発信しています。

 大阪を特徴つける食文化といえば、「たこ焼き」「お好み焼き」「いか焼き」「餃子」等の、小麦粉を用いた"粉食文化"といえます。これら"粉モノ"で多用するソースの消費量は、東京の1.5倍(総務庁家計調査)にも及びます。

 また、関西人のタコ好きは半端ではありません。一世帯あたりのタコの年間消費量(総務庁家計調査)は、神戸がトップの2.0キロ、大阪が2位の1.8キロ、3位が奈良の1.7キロと、関西圏が抜きん出た消費量を誇ります。食を通じてタコに慣れ親しんできた関西人は擬人化したタコにも愛着心を持っています。このタコを食材とした「たこ焼き」が、昭和8年頃に大阪の「会津屋」で生まれました。「カリッ」と焦げめのついた皮を破って、「トローリ」と半熟状の小麦、「コリッ」とタコの歯ごたえ。たこ焼きは東京ではおやつですが、大阪では一家に一台のたこ焼き器を備え、晩御飯にもなるといわれています。

 たこ焼きと並び、人気を二分するお好み焼き。大阪人はデートでも気取らずにお好み焼きを食べます。その食べ方で二人の親密度が分かるといいます。大阪府のお好み焼き屋店舗数(オタフク調べ)は、2位の兵庫県(2,563店舗)を大きく引き離して、全国トップの3,465店舗にも達します。関西では東京とは異なり店側で焼いて提供します。このことが店舗間の味の差別化を可能にしました。お好み焼きは終戦後に一気に普及し、昭和21年創業の「ぼてぢゅう」が大阪風お好み焼きのスタイルを確立したといわれています。昭和25年創業の「ゆかり」は今でも行列の絶えないことで有名な人気店です。

 商都・大阪では、何ごとにつけても高い費用対効果が求められます。これはまた、食に対する創意工夫の歴史でもあったのです。明治43年、大阪・千日前に、ライスカレーの店「自由軒」が開店しました。ご飯とカレーが混ぜ合わせになっていて、生卵を落とし、ウースターソースを掛けて食べる「混ぜカレー」の誕生です。「混ぜた方が熱々だし、さっと食べれて、お客の回転も早い。東京にはない庶民の味だ」と言われました。横断歩道の信号機さえもがカウントダウン表示されるほどの"イラチ(せっかち)"な大阪人気質には見事にマッチしています。

 そして、“粉食文化”を代表するもう一つの大阪名物の「いか焼き」もまた創意工夫の産物でした。日本は世界の水揚げの半分を消費するほどの“いか大国”です。東京でイカ焼きと言えば「イカの丸焼き」を意味しますが、大阪スタイルは、小麦粉と刻んだイカを混ぜ合わせて作った風味の高い生地を、プレスしながら高温で一気に焼き上げたものに、特製ソースを付けて食べます。片手で食べられるいか焼きは、戦後、「元気の源」として主食、副食を問わず、子供から大人まで幅広い層に好まれています。

●元祖たこ焼「会津屋」
昭和8年、「会津屋」の初代・遠藤留吉氏は、肉やコンニャクを入れた「ラヂオ焼」の屋台を始めた。遠藤氏は大人もが喜ぶような美味しいラヂオ焼を焼こうと工夫を重ねていた。ある日、お客の一人が「明石(明石焼き)はタコ入れとるで」とつぶやいたという。当時、タコの胴は安く手に入った。これを小さく切って、ラヂオ焼に入れてみた。そして、試行錯誤の繰り返しの結果、納得のいく味が完成した。「たこ焼」の誕生である。昭和10年のことであった。ソースをつけない「元祖・たこ焼」の味は現在も受け継がれている。
●なにわ名物カレーの「自由軒」
小説「夫婦善哉」の作者・織田作之助がこよなく愛したといわれている「なにわ名物カレー」は、明治43年創業の洋食屋「自由軒」が生んだ大阪のオリジナル食文化である。あらかじめルーを混ぜ込んだご飯の中央に、生卵が落としてある。これが大阪人に受けた。好奇心で色々なものを混ぜ合わせてみて、「お、ウマイやん」という創意工夫が、大阪人は好きなのである。ハウス食品(地域別カレーの食卓に関する調査)によると、カレーを食べる際に生卵をかける人は、大阪が東京の5倍近いという。
●オムライス発祥の老舗洋食店「北極星」
日本の洋食を代表するメニューの一つである「オムライス」も大阪で誕生した食文化である。大阪の老舗洋食店「北極星」で、ひょんなことからケチャップライスをオムレツで巻いてお客に出してみたことがきっかけだった。大正14年のことである。これが評判になり、以後人気メニューとして定着した。今では、洋食屋は言うに及ばず、大衆食堂や、中華料理店、喫茶店に至るまで、多くの飲食店の定番メニューに加えられている。
●いか焼き屋の元祖「桃谷いかやき屋」
昭和25年に誕生した「桃谷いかやき屋」の元祖いか焼きは、独自に開発された高温で上下同時に焼き上げる機械と、厳選された素材、秘伝の生地からできる。ふっくらとして“もちもちっ”とした食感、風味高い味、そしてボリューム感が、大阪の人々に古くから愛されている。
●現実には存在しない場所

 "食い倒れの街"を求めてやって来る遠方からの観光客は、主に道頓堀界隈に繰り出していきます。そこでは、「くいだおれ人形」が太鼓を叩き、「かに道楽」のカニが大きな脚を蠢かし、道頓堀川にかかる「戎橋」では「グリコ」の巨大ネオン看板を背にして記念写真を撮る人々で賑わっています。しかし、「名店」「老舗」と呼ばれる店舗は1ヵ所に集まっているわけではありません。これは、都市そのものが"食い倒れの街"として成長してきた大阪の宿命といえます。大阪の食文化は、個々の店舗の営みを通じて生まれ育まれていったからです。西成区玉出の元祖たこ焼き「会津屋本店」、桃谷商店街にある元祖イカ焼き「桃谷いかやき屋」、なにわ名物カレーの「自由軒」、心斎橋等に店を展開するオムライス発祥の老舗洋食店「北極星」など、大阪発祥のオリジナル食文化を創造しその後の歴史を刻んで来たこれら老舗の多くは府内各地に点在しています。

 また、老舗・名店には、職人の技に支えられた個人店舗も多く、多店舗展開をせずに本店だけで営業しています。グルメマンガ「美味しんぼ」でも紹介された、大阪における韓国食文化の発信地「鶴橋」のように、地域自体が「コリアタウン」として特定食文化の町を形成しているケースでは尚更のこと、その場所に行かない限りは味わえないのです。このため、これら老舗・名店の味を体験したことのない大阪人も多いといいます。

●"なにわドリーム"が体感できる新名所の誕生

 大阪を目指して、関東など広域からの旅行者が激増しています。これらの来訪者が大阪に期待するのは"大阪らしい大阪"であり、いわば"なにわドリーム"の体験、中でも"食い倒れの街"を堪能することです。  一方、全国的に進行している食文化の均質化現象は、大阪も例外ではなく、各種のオリジナル食文化を誕生させてきた大阪にも、最近はスタイリッシュな店が増え、特徴がなくなってきています。表通りにはナショナルチェーンの飲食店舗が建ち並び、安くて旨いグルメの老舗や名店は、裏筋まで入らないと出会えない場合が多いものです。この結果、大阪の若者たちの多くは、関西独自の食文化を育んできた老舗の存在すら知りません。 以上を踏まえたうえで、"食い倒れの街"を一ヵ所で味わい尽くすことのできる場所が誕生するならば、旅行者はもちろんのこと、地元の人々にとっても「大阪にはこんなに美味しい店があったんやね!」「一ヵ所にあるのでいっぺんに済むから便利や!」というように、"イラチ"で新しもの好きの大阪人には実に新鮮な出来事となるでしょう。

天保山ハーバービレッジは、開業記念日(1990年7月20日)にあたる2002年7月20日(土・祝)、天保山マーケットプレースの一角に、昭和40年前後の大阪の街並みを再現した関西名物グルメのテーマパーク「なにわ食いしんぼ横丁」を開設します。"なにわドリーム"に貫かれた"食い倒れの街"が体感できる新名所が登場することは、関西の独自の食文化、名物グルメが一ヵ所で満喫できる場所が、初めて誕生することを意味します。

「なにわ食いしんぼ横丁」は、昭和45年(1970年)の大阪万博に向けて"大阪が最も元気に光り輝いていた時代"である昭和40年前後の大阪の下町です。国鉄駅前に広がる商店街やガード下のノスタルジックな世界が、故郷に帰ってきたかのような「懐かしさ」と「安らぎ」を醸し出しています。夜祭りが開催されている縁日風の賑やかな街並の中には、かつての"元気な大阪"がたっぷりと詰まっています。この非日常的劇場空間では、大阪独自の"なにわドリーム"が演じられ、五感で楽しめる"美味しい夢の世界"が展開されます。

このページのトップへ