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なにわ食いしんぼ横丁とは

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企画背景

食い倒れの街

食い倒れの街・大阪。古くから「大阪の食い倒れ、京の着倒れ、神戸の履き倒れ」と比肩されています。ここでは、「旨いのは当たり前、旨くて安くないとアカン」というシビアな価値感が常識になっています。その結果、全国のあらゆる食材が"天下の台所・大阪"に集まり、和食から"粉もの"に至るまで、その多彩さと美味しさを競い合っています。
まさに、"大阪そのものが「フードテーマパーク」である"ともいえるほどの強烈な魅力を発信しています。

大阪を特徴つける食文化といえば、「たこ焼き」「お好み焼き」「いか焼き」「餃子」等の、小麦粉を用いた"粉食文化"といえます。これら"粉モノ"で多用するソースの消費量は、東京の1.5倍(総務庁家計調査)にも及びます。

また、関西人のタコ好きは半端ではありません。一世帯あたりのタコの年間消費量(総務庁家計調査)は、神戸がトップの2.0キロ、大阪が2位の 1.8キロ、3位が奈良の1.7キロと、関西圏が抜きん出た消費量を誇ります。食を通じてタコに慣れ親しんできた関西人は擬人化したタコにも愛着心を持っています。このタコを食材とした「たこ焼き」が、昭和8年頃に大阪の「会津屋」で生まれました。「カリッ」と焦げめのついた皮を破って、「トローリ」と半熟状の小麦、「コリッ」とタコの歯ごたえ。たこ焼きは東京ではおやつですが、大阪では一家に一台のたこ焼き器を備え、晩御飯にもなるといわれています。

たこ焼きと並び、人気を二分するお好み焼き。大阪人はデートでも気取らずにお好み焼きを食べます。その食べ方で二人の親密度が分かるといいます。大阪府のお好み焼き屋店舗数(オタフク調べ)は、2位の兵庫県(2,563店舗)を大きく引き離して、全国トップの3,465店舗にも達します。関西では東京とは異なり店側で焼いて提供します。このことが店舗間の味の差別化を可能にしました。
お好み焼きは終戦後に一気に普及し、昭和21年創業の「ぼてぢゅう」が大阪風お好み焼きのスタイルを確立したといわれています。

商都・大阪では、何ごとにつけても高い費用対効果が求められます。これはまた、食に対する創意工夫の歴史でもあったのです。明治43年、大阪・千日前に、ライスカレーの店「自由軒」が開店しました。ご飯とカレーが混ぜ合わせになっていて、生卵を落とし、ウースターソースを掛けて食べる「混ぜカレー」の誕生です。「混ぜた方が熱々だし、さっと食べれて、お客の回転も早い。東京にはない庶民の味だ」と言われました。横断歩道の信号機さえもがカウントダウン表示されるほどの"イラチ(せっかち)"な大阪人気質には見事にマッチしています。

そして、“粉食文化”を代表するもう一つの大阪名物の「いか焼き」もまた創意工夫の産物でした。日本は世界の水揚げの半分を消費するほどの“いか大国”です。東京でイカ焼きと言えば「イカの丸焼き」を意味しますが、大阪スタイルは、小麦粉と刻んだイカを混ぜ合わせて作った風味の高い生地を、プレスしながら高温で一気に焼き上げたものに、特製ソースを付けて食べます。
片手で食べられるいか焼きは、戦後、「元気の源」として主食、副食を問わず、子供から大人まで幅広い層に好まれています。

元祖たこ焼き「会津屋」

元祖たこ焼き「会津屋」

昭和8年、「会津屋」の初代・遠藤留吉氏は、肉やコンニャクを入れた「ラヂオ焼」の屋台を始めた。遠藤氏は大人もが喜ぶような美味しいラヂオ焼を焼こうと工夫を重ねていた。ある日、お客の一人が「明石(明石焼き)はタコ入れとるで」とつぶやいたという。当時、タコの胴は安く手に入った。これを小さく切って、ラヂオ焼に入れてみた。そして、試行錯誤の繰り返しの結果、納得のいく味が完成した。「たこ焼き」の誕生である。昭和10年のことであった。ソースをつけない「元祖・たこ焼き」の味は現在も受け継がれている。

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なにわ名物カレーの「自由軒」

なにわ名物カレーの「自由軒」

小説「夫婦善哉」の作者・織田作之助がこよなく愛したといわれている「なにわ名物カレー」は、明治43年創業の洋食屋「自由軒」が生んだ大阪のオリジナル食文化である。あらかじめルーを混ぜ込んだご飯の中央に、生卵が落としてある。これが大阪人に受けた。好奇心で色々なものを混ぜ合わせてみて、「お、ウマイやん」という創意工夫が、大阪人は好きなのである。ハウス食品(地域別カレーの食卓に関する調査)によると、カレーを食べる際に生卵をかける人は、大阪が東京の5倍近いという。

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オムライス発祥の老舗洋食店「北極星」

オムライス発祥の老舗洋食店「北極星」

日本の洋食を代表するメニューの一つである「オムライス」も大阪で誕生した食文化である。大阪の老舗洋食店「北極星」で、ひょんなことからケチャップライスをオムレツで巻いてお客に出してみたことがきっかけだった。大正14年のことである。これが評判になり、以後人気メニューとして定着した。今では、洋食屋は言うに及ばず、大衆食堂や、中華料理店、喫茶店に至るまで、多くの飲食店の定番メニューに加えられている。

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いか焼き屋の元祖「桃谷いかやき屋」

いか焼き屋の元祖「桃谷いかやき屋」

昭和25年に誕生した「桃谷いかやき屋」の元祖いか焼きは、独自に開発された高温で上下同時に焼き上げる機械と、厳選された素材、秘伝の生地からできる。ふっくらとして“もちもちっ”とした食感、風味高い味、そしてボリューム感が、大阪の人々に古くから愛されている。

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