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なにわ食いしんぼ横丁とは

テーマストーリー「えべっさん伝説」

物語の舞台は、「なにわ国」のとある港町。

この町は、いつの頃からか『なにわ食いしんぼ横丁』と呼ばれている。今では国鉄「なにわ駅」を中心にして町が発展し商人の町として栄えている。どの店も老舗ばかりなので、昔ながらの木造家屋が軒を連ねている。

住人は気さくで親切な人ばかりであった。服装は、割烹着、甚平、作務衣、前掛けなどを着用している人が多い。こうした雰囲気が何故か郷愁を誘う。

また、横丁には、国中から美味しい「食」の老舗や名店が多数集まっているので、大勢の旅人が訪れると言う。駅前には、足の裏を触ると幸せが訪れるとのいわれがある「えべっさん」の銅像が建てられている。横丁の奥には、縁結びを始めとした七福のご利益があるとの言い伝えのある「七福神社」があり、黄金のご神体「福猫神像」が奉られている。

今、なにわ国では、数年後に控えた「なにわ万博」に向けて、元気に盛り上がっている。また、「七福神社」の祭礼として、「食いしんぼ祭り」が開催されており、賑やかな囃子や太鼓の音も鳴り響いている。このように、横丁は今でこそ活気に溢れ商売で栄えているが、その歴史には想像を絶する秘められた物語が隠されていると言う。

猫

「好っきやねん」と子猫が叫び奇跡が起こった。

来る日も来る日も嵐が吹き荒れる厳しい自然のため、魚も農作物も獲れない日々が続いた。しかし、村人たちは質素で情け深く心優しい人ばかりであった。少ない食べ物を分け合いながらも充実した毎日を過ごしていた。

とある日、村の祠に一匹の子猫が捨てられていた。子猫は飢えて痩せ細っていた。不憫に思った村人たちは、自らの食事を我慢して子猫に与えた。栄養失調に苦しむ子猫が足を痒がったので、村人たちは交代で足をさすってやった。育ち盛りの食いしん坊な子猫は食べても食べても満腹にはならなかったが、優しい村人たちのお蔭ですくすくと育っていった。
それは100日目の夜のことだった。村の祠をそっと抜け出した子猫は、海に向かって「好っきやねん」と叫んだ。すると、海の一角が大きく泡立ち、一匹の子鮫が現れた。子猫は子鮫にまたがり暗い海に消えていった。

翌朝、ひと時のなぎが訪れた。騒然とした鳴声と共にカモメの大群が飛来するや否や一帯の海は朱色に輝き、大量の魚群が現れた。村人たちは大漁の予感に沸き立ち、一斉に舟を繰り出した。この地に巣くう貧乏神は、これを見て怒り狂い、巨大な嵐を招き寄せた。舟は木の葉のように海面を舞った。その時、奇跡が起きた。海の一角が一条に割れて、子鮫に乗った子猫が現れた。

子猫が「好っきやねん」と大声で唱えると、天空より黄金の舟に乗った七匹の猫が降臨した。世界は黄金色に染まった。海はなぎ、再び魚で満ち溢れた。大地は芳醇な小麦畑に生まれ変わった。カモメは鶏に姿を変え美味しい卵を産み落とすようになった。こうして、村から貧乏神を追い出すことに成功した子猫は、親切な村人たちへの恩返しを成し遂げた。子猫と子鮫は、実は"海運と商売繁盛の神様「えべっさん」の化身であった。この「えべっさん」が呼び寄せた七匹の猫こそが七福の神々「福猫神」である。
この奇跡の物語は後の世に「えべっさん伝説」として語り継がれていった。

産まれ変わった村はタイやヒラメにタコやイカ、小麦に卵と豊漁豊作に沸いた

これら美味なる食材に誘われて、村には多くの料理人が集まりその技を競い合った。 この結果、たこ焼き、お好み焼き、いか焼き、オムライス、混ぜカレー、一口ギョーザなど、多くの新しい料理が誕生した。祠の前には、これらの名店が軒を連ねるようになった。

名店街は、食いしん坊の子猫に因んで「食いしんぼ横丁」と名付けられた。横丁の派出所までもが「食いしんぼ交番」と命名された。また、地名や屋号には、豊漁への感謝を込めて魚の名前が数多く採用された。横丁には、名店の味を求め、なにわ国内は言うに及ばず世界中から旅行者が訪れた。村は繁栄を続けた結果、なにわ国の商都となり港も鉄道も整備された。 豊かになった住人たちは、自分等を救ってくれた神々に感謝し、町の入口に猫神様と鮫神様の銅像を建立し、親しみを込めて「食いしんぼえびす」の愛称で呼んだ。町の祠には、黄金の舟に乗った七体の「福猫神」を奉納し、「七福神社」と命名した。そして、食いしん坊の子猫に対する感謝の気持ちをいつまでも忘れないためのお祭り「食いしんぼ祭り」が毎日催されるようになった。

この横丁を訪れる人々は、いつの頃からか、"えべっさん伝説"を伝え聞き、幸せを願いながら"えべっさん像「食いしんぼえびす」"の足の裏を触るようになった。 美味しい食べ物をお腹いっぱいになるまで堪能した後には、横丁中に貼り巡らされた"貼り紙"の中の魚をウォッチングする「お魚探偵団」の遊びが生まれた。また、横丁に隠された七つの「福塚」を巡った後に「七福神社」を参拝し"七福のご利益"を祈念するという「七福塚巡り」の習わしも生まれた。神社ではカップルが手をつなぎ合って「好っきやねん」と願をかける"縁結びの祈願"も執り行われるようになった。明るくウイットに富んだ人々の手による「ギャグコン(マイ・フェバリット・ギャグコンテスト)」などの催しも盛んに開催された。こうして、楽しい思い出と沢山のお土産を両手いっぱいに抱えながら、皆、「えびす顔」で帰っていくという。

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