ビゼンクラゲのビゼンとは??
2022年以来3年ぶりにアリアケビゼンクラゲの期間展示を開始しました(→「お久しぶりのデカいやつ」)。やはり迫力がありますね。採集に出発前、「今年は展示を成功させるぞ!」と準備に意気込む担当者に、私、疑問を投げかけました。「ねえ、なんで有明海で獲れるのにビゼンクラゲなん?ビゼンって岡山のことよね?」すると、「昨今の研究で、有明海で捕獲されるビゼンクラゲは "アリアケビゼンクラゲ" とされていて、他地域にいるビゼンクラゲとは別種といわれているんですよ」との答えが返ってきました。さらに「有明海ではアリアケビゼンクラゲは "赤クラゲ" と呼ばれていて、他に "白クラゲ" と呼ばれるヒゼンクラゲもいます」とも。ん?混乱する~。「肥前」とは佐賀県と長崎県のあたりをさすので、有明海を含む場所であり、そこからついた名前であろうことはまあわかります。ややこしいなあ~。それはそれとして、ビゼンクラゲのビゼンはどこからきたのという謎はまだとけてはいません。ということで、調査開始!まずはビゼンクラゲを見つけた方は誰かを調べました。学名に Rhopilema esculentum Kishinouye, 1891 とあるので、1891年にキシノウエという方が発見したことがわかります。この方は日本水産学界の発展に寄与した東京帝国大学の岸上鎌吉氏であり、1890年(明治23年)に岡山県の児島郡で採取したものを命名したのだそうです。でた!岡山つまりは備前国!!備前国とは岡山県の東南部に位置する旧国名で、玉野市や瀬戸市、備前市、岡山市の一部などを含みます。「ビゼン」はここからきていたのね。備前国では奈良時代に加工したクラゲを朝廷に収めていた記録があるぐらい、昔から食用クラゲの産地だったそうです。ちょっと時代はとびますが、江戸時代には岡山藩から幕府へ毎年クラゲを献上していたくらいに名産だったそう。岡山県の統計年報によれば、記録がある明治30年頃から大正時代にかけては10~90トンほどの漁獲量があり、ビゼンクラゲは岡山の主要な特産物だったことがわかります。岸上氏が命名したのは明治23年ですから、ちょうど岡山でビゼンクラゲが多く獲られている頃に名付けたのではないでしょうか。しかし、昭和に入る頃には漁獲量が激減し、昭和6年には0となってしまいました。数年後には統計年報からとうとうビゼンクラゲの項目は消滅...。実は、岡山のビゼンクラゲはどこにでもいたのではなく、当時、遠浅の広大な干潟をもつ児島湾内のみに生息していました。児島湾は岡山市の南部にあります。汽水域を好むとされるビゼンクラゲは有明海と同じような環境である児島湾にいたというのが興味深いところですし、児島湾の中でも大きな川が近い地域のみで漁が行われていたことがわかっています。児島湾は古代から干拓が行われていましたが、明治以降、干拓が進んだことや湾の締め切り等によって海の状況が変化したことがビゼンクラゲの生息に影響したと考えられます。その後のビゼンクラゲは戦後から昭和40(1965)年頃まではわずかに存在していたようです。2002年には広大の上氏らが瀬戸内海沿岸の漁業協同組合161か所にアンケートを行い、直近20年のクラゲ出現動向を調査されました。その結果、ビゼンクラゲについては95%以上の方が「知らない、全く見たことがない」と回答したそうです。2020年の岡山県版レッドデータブックでもビゼンクラゲは絶滅危惧種とされていて、岡山の名産だったビゼンクラゲはいなくなってしまったことを痛感します。尚、岸上氏が命名したビゼンクラゲの色は青かったとのことですが、明治26年(1893年)には有明海から赤い食用クラゲが報告され、標本を検討した結果,ビゼンクラゲとは色が異なる同種であるとされました。これがアリアケビゼンクラゲです。岸上氏は続いて明治30年(1897年)に有明海から別の白い食用クラゲを記録しました。こちらは後に Rhopilema hispidum のシノニム(同じ種類に対して複数の学名がつくこと)とされ、和名は肥前国にちなんでヒゼンクラゲと命名されたのです。そういえば、ヒゼンクラゲは高知でたまに入網するそうで、以布利や室戸方面の漁獲物を調べていた係員が写真を撮っていました。当館での展示経験は、担当によると「ビゼンと一緒に獲れて展示したことがあったかもしれない??」ということでしたが、また調べておきます。「お久しぶりのデカいやつ」で担当が書いているように、アリアケビゼンクラゲは「ビゼンクラゲ」とか「ビゼンクラゲの一種」と記載することが多かったのですが、このたび当館では2022年に発行された「クラゲの図鑑」に準じて、和名:アリアケビゼンクラゲ、学名:Rhopilema esculentum と記載することにしました。また、同じく「ビゼンクラゲの一種」と呼ばれているビゼンクラゲは?というと、スナイロビゼンクラゲと呼びます。スナイロ?これまで海遊館のクラゲをみてきてくださった方はあれっ?って思うかもしれません。なんか聞いたことあるような??例えばこちらのブログ「久しぶりに大きく育ちました」では、「スナイロクラゲは夏場に展示する大きなビゼンクラゲにとても近い仲間で、"砂の色"をしていることからその名前がついた」と書いてます。このスナイロクラゲもスナイロビゼンクラゲとよばれることになったというわけ。ちょうど、今、当館育ちのクラゲを展示中です。スナイロクラゲはウチダザリガニの命名者である北海道大学名誉教授の内田氏が1927年に陸奥湾および東北地方日本海沿岸に発生する種を Rhopilema asamusi と命名しました。当時、太平洋亜熱帯水域に分布するアリアケビゼンクラゲやヒゼンクラゲとは明らかな生息水域の違いがあるとしていましたが、このたび、スナイロクラゲ改め、スナイロビゼンクラゲとなり、学名はスナイロクラゲの Rhopilema asamusi が採用されました。スナイロビゼンクラゲの生息地は東北から九州にかけての日本沿岸、色も砂色?とか青とか白あって本当、クラゲ勉強中の私には理解が難しゅうございました。 何はともあれ、ビゼンクラゲの「ビゼン」の意味がわかり、私は大満足なのですが、岡山のクラゲのことを思うと切ない気持ちにもなりました。有明海ではアリアケビゼンクラゲがずっと生息し、ずっと有明海の名産であったほしいと祈るばかりです。
無脊椎動物
2025.08.13